もう会うことはないかもしれないけれど。

きみに読んでもらいたいお話

人に伝えたいこととは

ツイートがバズッた。正確にはバズッたツイートの一番上にぶら下がっているリプが私のものであった。たまたまである。メインのツイートは瞬く間に拡散され、そのツイートにぶら下がっていた私のリプも同じように拡散されていった。鳴りやまぬ通知、わたしのリプにもいいね!が押されていく。エンゲージメント数を確認すると1万、2万どどんどん増えている。私は直感した。おそらく私のタイムラインを見に来る人がいるだろうと。自分が投下した最新のツイートに目をやる。フィリピンの子どもたちに性器を指す卑猥な言葉を言わせている動画について怒っているツイートだった。このツイートな人に見られても問題ない、と軽く息を吐いた。そして気づく。今、自分が何かツイートすればきっと大勢の人に届くだろうことに。

 

 

今の自分の仕事を元職場の人たちに自慢するため半ば当てつけで始めたツイッター。私のタイムラインは仕事内容についてがほとんどだった。もちろんどこかの誰かにこういう世界ももあるよ、と自分の仕事を紹介する気持ちや、遠方に暮らす家族や友人に近況を伝える目的もあった。自分のツイートが拡散されている今、不特定多数の人が私のアカウントを訪問するかもしれない。普段私のタイムラインを見ることがない人に私のツイート見てもらえるかもしれない。単純にフォロワー増やしたい。私は浮かれた。

 

 

エンゲージメント数が10万を越した。私は今、大勢の人に何かを訴えられるチャンスがある。何か言いたいことは。。。。そう考えたとき、わたしの頭に浮かんだのは1回もツイートしたことがない内容だった。親子関係をベースにした優越感と劣等感の関係である。学校のいじめ職場のパワハラ家庭のDVなど、すべては親子という関係からスタートするのでは、という問題意識が漠然とあった。あらゆる人に親子関係を紐解けと訴えたい気持ち。そして各々が抱く優越感劣等感は負の同調圧力がはびこる日本社会とものすごく相性がいいのではと主張したい気持ち。簡単にいえば、日本はクソだと言いたかった。ツイッター民に訴えたかった。そしてジャパニーズ・ソサエティーに一石を投じるべくツイートを投下したのである。。

 

・・・

 

私のぶら下がりのリプは最終的にエンゲージメント数約39万を記録した。リプから私のタイムラインを見に来た人は約2000人いた。もしこれが突然メガフォンを渡され2000人を前に何かしゃべろと言われても間違いなく何も言えなかっただろう。ツイッターだからできた。自分というに人間は口で主張はできないけど、書けば言いたいこと言えるとわかったことは収穫だ。意図せず自分に注目が集まったとき自分の主張をはっきり自覚できるチャンスだよ、とまた忘れたころにこの文章を読む私に伝いえたい。